神戸地方裁判所 平成9年(わ)36号 判決 1999年1月12日
主文
被告人を懲役五月に処する。
この裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、△△建設の名称でAが土木建設業を営んでいる旨称しながら、同様の名称で日雇労働者の労働者派遣業を営むBの従業員であるが、C、右B及び同人の従業員Dと共謀の上、不正に右C名義の日雇労働被保険者手帳(雇用保険被保険者手帳)の交付を受けようと企て、平成八年一月四日ころ、大阪市西成区荻之茶屋<番地略>所在のあいりん労働公共職業安定所において、同公共職業安定所業務第一課業務係官に対し、右Cが右B及び右Aのいずれにも雇用された事実はないのに、右Cが右△△建設の名称で土木建設業を営む右Aの従業員として雇用されている旨の内容虚偽の就労証明等を提出するなどして、同日、同所において、右係官から右C名義の日雇労働被保険者手帳の交付を受け、もって、偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けたものである。(証拠の標目)<省略>
(事実認定の捕捉説明)
一 被告人は、当公判廷において、B(以下「B」という。)、C(以下「C」という。)及びD(以下「D」という。)との共謀の事実及び犯意を否認し、弁護人もこれに沿う主張をするので、以下検討する。
二 以下の事実はほぼ争いがなく、関係証拠上明らかに認められる。
1 Aは、昭和四七年ころから、「△△建設」の屋号で土木建築業を営んでいたが、その後高齢などを理由に△△建設の経営から引退し、Aの実子であるE(以下「E」という。)がその実質的経営者となった。しかし、△△建設が平成五年に労働者派遣業違反で摘発されたこと等から、Eの同級生のBが△△建設の経営を引き継ぎ、以後「××建設」という屋号も併用して、専ら日雇労働者派遣業を営んでいた。
2 被告人は、Eの娘婿であり、次期経営者として平成六年九月ころから△△建設従業員として働くようになった。被告人は、△△建設において経理全般を任され、雇用保険被保険者手帳(以下「被保険者手帳」という。)に貼付する印紙の管理を行い、労働者の出勤状況も把握していた。
3 Dは、暴力団山口組系豊原連合会の構成員であったが、その後、右豊原連合会を辞め、△△建設の従業員として日雇労働者の手配の仕事を担当するようになった。Dは、日雇労働者の手配を容易にするため、しばしば、就労してもいないのに被保険者手帳に印紙を貼付してやり、日雇労働求職者給付金(いわゆるあぶれ手当。以下「あぶれ手当」という。)の不正受給の便宜を図ってやっていた。
4 右豊原連合会の構成員であるCは、同会の関係でDと知り合いであったが、平成五年ころ、不正にあぶれ手当を受給するため、実際には△△建設で稼働した事実がないのにこれを証明する書類を作ってほしい旨Dに依頼し、DがBから入手した内容虚偽の就労証明書を用いて不正に被保険者手帳を取得し、それによりあぶれ手当を不正に受給したことがあった。
5 その後Cは服役し、平成七年九月に出所したものの金銭に窮し、被保険者手帳の再交付を受けてあぶれ手当を受給しようと考え、同年一二月中旬ころ、Dにその旨を伝え、同人の了承を得、さらに、Dを介して、Bの了解も得た。
6 同月二七日、Cは、あいりん労働公共職業安定所に被保険者手帳の再交付申請に赴いたところ、同公共職業安定所の係官から、被保険者手帳の再交付には就労を証明する書類が必要である旨の説明を受けた。しかし、少しでも早く被保険者手帳の交付を受け、あぶれ手当を受給できるようにするため、翌二八日午前中に同公共職業安定所に電話し、就労を証明する書類をファックスで送信してもよいとの返答を得た。そこでCはDに電話をかけ、あぶれ手当を受給できるようにするため自己が△△建設で就労していた旨の内容虚偽の証明書をファックスであいりん労働公共職業安定所に送信してほしい旨依頼し、Dはこれを了承した。
7 同日、Dは、被告人に電話をかけ、指示するとおりの書類を作成して、ファックスで送信するように依頼し、その内容を口頭で説明して被告人に書き取らせ、被告人は指示どおりの内容の書面を作成して、これをあいりん労働公共職業安定所あてにファックスで送信した。
8 被告人が作成し、ファックスで送信した右書面には、「C」「一〇月、一一月、一二月」等の記載及び「△△建設A」の印影があり、外観上、「C」が一〇月から一二月までの三ヵ月間、△△建設で就労していたかのように読み取ることのできる内容となっていた。
9 平成八年一月四日、Cは、あいりん労働公共職業安定所に赴き、被告人が送付した右ファックスが届いているのを確認した上、関係書類と共に右ファックスを係官に提出して、被保険者帳の再交付を受けた。
三 ところで、Bは、検察官に対し(二六)、「平成七年一二月二八日」に会社事務所で被告人が困ったような顔をして一枚の書類を見せ、『DさんがCの就労証明書を作って、すぐに職安にファックスで送ってくれと言うとんです、こんなんでよろしいか。』と言ってきた、その紙を見て虚偽の就労証明であることがわかったが、通常は印紙を貼る必要があることから印紙を貼らなくてもいいのかと聞くと、『これでいいとDさんが言いました。』と被告人が言うので、それなら送ってやれと指示した、本件以前にも被告人がBに対し、Dが勝手に印紙を使うので困ると苦情を言ってきたことがあったが、人集めのためには内容虚偽の就労証明を出したり印紙を貼ったりしてあぶれ手当の便宜を図ってやらなければならないこともあるので、Dの言うこと、やることはそのとおりにやらせてやれと言い含めたことがあった。」などと供述しているところ、Bは、ファックス送信をめぐる被告人とのやり取り等を具体的に述べており、当公判廷において、当時は記憶どおり話し、その結果を検察官は調書に記載した旨供述し、また、ほぼ検察官に述べたことと同旨の供述をしている上に、内容も前記二で認定した事実関係に照らし矛盾がなく合理的であって、その信用性は高いというべきである。
四 また、被告人は、捜査段階において、一貫してBらとの共謀の事実及び犯意を認めており、その供述は当時の自己の心情も交えた具体的なものであって、B及びDらの検察官調書等の内容にもよく符合していることにもかんがみれば、その信用性は高いというべきである。
これに対し、被告人は、当公判廷において、捜査段階における供述を翻し、本件の書面をDの指示で作成しファックスで送信した事実は間違いないが、平成七年一二月当時は、あぶれ手当の仕組みをよく分かっておらず、書面をファックスで送信した際に、それが何に使われるかということの認識は全くなかったし、Dからのファックス番号だけを聞いて送信したので、職業安定所に送信したという認識もなかった旨供述するに至り、そのように供述を変遷させた理由について、捜査段階では初めて身柄拘束を受けて早く釈放してもらいたかったので事実を認めたなどと弁解している。
しかしながら、被告人が逮捕直後から一貫して事実を明確に認めていることからすると、供述の変遷についての右弁解は甚だ説得力を欠くといわざるを得ない上、一年数ヵ月以上、主として日雇労働者の派遣を業としている△△建設で経理や印紙の管理を担当していながら、被保険者手帳の交付やあぶれ手当の仕組みについてよく分かっていなかったとか、△△建設の印を押捺した書類をどこに送信するかも分からずにDから言われるままに送信したなどという被告人の公判供述はいかにも不自然というほかなく、前記認定事実に照らし到底信用することができない。
五 前記認定事実に加えて、被告人の捜査段階における各供述調書及びBの検察官調書によれば、ファックスで送信した右書面が被保険者手帳の不正交付に使われることを十分認識し、このことについてBらと共謀した事実を優に認めることができる。
六 また、弁護人は、就労証明書は、あぶれ手当取得に必要な書類であるが、被保険者手帳の再交付には不要なものであるとし、よって、本件の就労証明書の提出と被保険者手帳の再交付の間には因果関係が存しないとも主張する。
しかしながら、証人岡本悦則の証言によれば、少なくともあいりん労働公共職業安定所においては、手帳の再交付に際し、労働者の就労意思を慎重に確認する目的で、就労事実を裏付ける何らかの証明書類の提出を要求するという取扱いが実務上なされていることが認められるところ、かかる実務上の取扱いは極めて多人数の日雇労働者が日々訪れるというあいりん労働公共職業安定所の実情に応じた合理的な行政裁量の範囲内での措置と解される。そして、Cにおいて、関係書類と共に被告人がファックスで送信した内容虚偽の就労証明書を右公共職業安定所の係官に提出した結果、被保険者手帳の再交付がされたことは前記認定のとおりであるから、就労証明書の提出が被保険者手帳の再交付の要件か、あるいは、あぶれ手当取得の要件かを論ずるまでもなく、本件においては、虚偽の就労証明書を提出した行為と手帳の再交付との間に因果関係が存することは明らかである。よって、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
罰条 刑法六〇条、平成一〇年法律第一九号による改正前の雇用保険法八五条一号、四四条
刑種の選択 所定刑中懲役刑選択
刑の執行猶予 刑法二五条一項
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
(法令適用上の争点に対する判断)
弁護人は、平成一〇年法律第一九号による改正前の雇用保険法(以下「雇用保険法」という。)八五条各号が引用する条文の文言等から、同法八五条各号はその行為主体を限定した身分犯の規定であり、同条一号についてみればその行為主体は日雇労働被保険者のみであると解した上で、本件の共犯者中にはかかる身分を有する者が存しないので、被告人は無罪であり、更に遡って考えれば、本件公訴事実は罪となるべき事実の記載なきものとして公訴棄却を免れないと主張する。
しかしながら、雇用保険法八五条は、その冒頭に、行為主体として「被保険者、受給資格者等又は未支給の失業給付を請求する者その他の関係者」を一括して記載し、それらの者が同条各号のいずれかに該当するときは処罰する旨規定しており、その規定の形式及び文言上からは同条一号の主体を日雇労働被保険者とが解することは困難であるのみならず、被保険者でなくてもそれ以外の右行為主体もそれぞれその主体となると解するのが素直である。本条が弁護人の解するようなものとして規定されたものであるならば、端的に「次の各号の一に該当するときは、六箇月以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する。
一 日雇労働被保険者が第四四条の規定に違反して偽りその他不正の行為によって日雇労働者被保険者手帳の交付を受けた場合
二 被保険者、受給資格者等又は未支給の失業給付を請求する者が第七七条の規定による命令に違反して報告をせず、若しくは偽りの報告をし、文書を提出せず、若しくは偽りの記載をした文書を提出し、又は出頭しなかった場合
三 第七九条一項の規定による当該職員の質問を受けた者が、その質問に対して答弁せず、若しくは偽りの陳述をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避した場合」
と規定すれば足りるはずである。また、実質的に考察しても、本号の規定は、不正な行為により被保険者手帳の交付を受けることを罰則を設けて防止し、雇用保険制度におけるあぶれ手当の支給を適正かつ円滑ならしめようとしたものと考えられ、かかる趣旨からすると、被保険者の行為に限らず、それ以外の者が不正な手段により被保険者手帳の交付を受ける行為を刑罰により禁圧する必要があるのは明らかである(仮に弁護人の主張するように、既に日雇労働被保険者である者が自己の住所や氏名を偽って手帳の交付を申請するといった極めて限定的な場面にのみ同号が適用されるべきとするならば、軽微な形式的手続違反行為に対して懲役六月以下の刑罰が科されることとなるところ、このような行為に対する罰則にしては法定刑が重きに過ぎ、その趣旨目的に照らし、甚だ不合理な結論となる。)。
これを本件についてみるに、被告人は労働者派遣業を営む△△建設の従業員として被保険者手帳に貼付する印紙の管理を行い、労働者の出勤状況を把握する業務に従事していることは前記のとおりであり、そうすると被保険者手帳の交付手続に関与する者として、同条にいう「その他の関係者」に該当するものと解することが相当である。
以上の次第であるから、弁護人の主張は雇用保険法八五条の解釈についての独自の見解を前提とするものであって、いずれも当裁判所の採るところではない。
(量刑の理由)
本件は、被告人が、暴力団組員である共犯者Cにあぶれ手当を不正に受給させる前段階として、勤務先の他の従業員ら及びCと共謀して不正の行為により同人に被保険者手帳の交付を受けさせたという雇用保険法違反の事案である。
被告人は、共犯者Dからの指示を受け、被保険者手帳の不正取得に利用されるものであることを知りながら、労働実績のないCの内容虚偽の就労証明書を作成し、公共職業安定所にファックスで送信することにより、本件犯行に加担したものであり、動機に格別酌量の余地は認められない。そして、本件のようにあぶれ手当を不正に受給するため、内容虚偽の就労証明書を使って、不正に被保険者手帳の交付を受けようとする行為は極めて模倣性が高く、雇用保険制度の根拠を揺るがすおそれがあることからすると、、一般予防及び特別予防の見地からも厳しい姿勢を示す必要がある。加えて、被告人は、公判において、自己の刑責を免れるべくあれこれと不合理な弁解をしており、真しな反省の態度がみられないことにかんがみると、その刑事責任を軽視することができない。
しかしながら、被告人は、先輩従業員である共犯者Dの指示を受けてしぶしぶ犯行に加担したにすぎず、本件反抗に主体的・積極的に関与したわけではないこと、被告人には前科がないこと、扶養すべき妻子がいることなど被告人にとって有利な諸事情も認められるので、これらを考慮して、被告人に対しては刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。
よって、主文のとおり判決する。